nekonoyouniの日記

日常で思ったこと 印象に残ったこと 時には愚痴も 自分では分かっているけど読む人には漠然としてて分からないことも書くかもしれません。他人の脳ミソを覗く感じで見てくだされば…。

日常の非日常

テレビとか、ユーチューブとか、その他色々な娯楽がある。
そういうのを毎日見てると、みんなすごいな、自分も何かしなきゃ!でも特技とかなんにもないし…って焦って落ち込んでの繰り返しになる時がある。
でもよくよく考えて見ると、有名なユーチューバーってほとんど(言い過ぎか)ADHDな気がする。
いつもバイタリティーに溢れてる感じ。
そんな人と比べたら自分なんてって思うのは当たり前だ。
なんか惹き付ける魅力がある人はサイコパスだし。もちろんみんながみんなそうじゃないだろうけど。
だから日常に見ている画面の向こう側の人たちは非日常だと思ってないと焦燥感とか、自分ってダメだなって思ってしまう。特に弱っている時は。
そんな風にして焦っている事が遠回りになったり、投げやりになる原因だから、恐れ多くもそういう人と比べたりしないようにしよう、と思う。

信頼感 安心感

海外の映画でよく、オフィスの自分の机に家族の写真が置いてある 多分日本では財布の中に一枚入ってる 人には見せずに自分だけみる
日本人は何か家族とか恥ずかしがる気がする。でも人は、知らないものを恐れる。だから家族とかを知ると、必然的にその人についての事も知れる。知ると人は安心する、怖くなくなる。猜疑心とか、必要ないんだと、思える気がする。
全身黒づくめのあの人にもこんなお母さんがいるのね?と。
良いとこばっかり見せる世の中に流されると、信頼感とか安心感とかなかなか見い出せなくなりそう、と思う 

履歴書の写真

履歴書の写真はいつもうまく撮れない。
大抵いつもスーパーの入り口辺りにある、あの証明写真機で撮る。
一回目の撮影。いつも鏡で見る自分と全然、とまでは言わないけどかなり強ばった感じに撮れる。
2回目。緊張してるからなのか?と思って大きく口を開けて、あえいうえおあお、とかやってみる。効果なし。で、次の撮影で2回目以上に強ばったように見える写真が撮れる。顔の体操をしたのに効果はなく、その結果次は半ば諦め気味で、ちょっと変な顔をしてみたりする。次が最後の一回。もう、うまく撮れるように…と心の中で祈って撮る。
写真に写る自分が、他の人が見る自分というから、きっと自分以外の人にはこう見えているのか…といつも履歴書の写真を撮ると、その事を思い知らされ、そのあと晩御飯(撮る時間によってはお昼ご飯)あたりまでショックが続く。
しかし今日、その謎が解けた。
今日使った証明写真機は自分が写る鏡の外側の、下側の真ん中辺りに横長の四角い黒い部分があって、丸いレンズがその真ん中に見えた。一回目の撮影ではそれに気付かず、いつもの「他人が見ていると思われる自分」が撮れた。それからその黒い部分のカメラと思われるところに気付き、目は鏡の中に写った自分の目を見つつ、顔はそのカメラらしきところに正面になるように(結構顎を引き)撮ったところ、いつも鏡で見る自分に近いように撮れた。
今までは、自分が写っている正面の鏡の中にカメラのレンズらしきものが見えていて、てっきりカメラは鏡の中にあるそれだろうと思っていたけど、実際は思っているより下の方にあったのかもしれない。
今まで撮ってきた履歴書の写真を思い返すと、カメラが少し右とか左よりにセットされている機械もあったのかもしれない。
そんなこんなで
①証明写真機で写真を撮る時はカメラの位置を確認してから撮ること、②悩みの原因は自分が思っているような原因じゃない事もあること、③解決方法がふと思いつくこともあるし、④苦手意識を持っていると無意識に、問題解決よりも、遠ざけるように考え方が進んで、結果、悩み事が完成するのかものかもと思った。

願い事

週4、または週3日専門の派遣会社とか、短時間でも社員にしちゃう東急ハンズみたいな会社がたくさんできればいいな というのが私の願いです。
無理がなく、効率的な仕事場がたくさんできれば事件、事故も減るだろうし、病気にかかる医療費も少なくてすむんじゃないかな、と日々、人身事故のニュースを聞くと思います。
日本人は真面目だから働くのは週3、4日ぐらいがちょうどいいのでは?と思います。

パラドックスその2

ちょっとそれは…と思われることを書くかもしれない。
ホームレスの人にお金をあげることについて。
大体の人はそれがいいことだと考えると思う。
よくアメリカの映画で町行く人が、ホームレスの人にお金をあげるシーンが出てくる。なんかクールだなあと思う。
多分アメリカではそれがステイタスなのかもしれない。チップの文化があるからごく普通のことなのかもしれない。
前に確か中国の都会で暮らすホームレスの人たちについての番組を見た。
そこに暮らすホームレスの人々、特に子供や、身体的なハンデのあるホームレスの人が物乞いをすると、普通に勤めている人以上にお金になる、といった内容だった。 
そしてお金になるので、お金を借りたけど返せない人の腕を切り取り、物乞いをさせて借金を返させるといった事が起きているらしい。
違う国でも、子供に物乞いをさせている親が、その子を学校に通わせる援助をします、と言われても、物乞いはお金になるので、学校に通わせず、物乞いをさせ続けることを選択する、ということも聞いた。
日本人の自分が思うには、なんだか食べ物とか物じゃなくて、お金を渡すっていう事が一見とてもいいことのようで、実は根本的な解決どころか、悪い方向に人を追い込んでいるんじゃないかと思えてならない。
アフリカで医療などエイズを撲滅するために携わっている人が、エイズが未だにアフリカで蔓延しているのは、ただ、エイズについての知識が無いからだ、と言っていた事がとても印象に残っている。
医療施設がないから、とか医療機器が足りないから、とか薬が足りないから、とかじゃなく、知識が無いから。
たったそれだけのことで、親が死んだり、お腹の中の子供がエイズになり、短い生涯を生きる。
私は学校が嫌いだったし、数学は分からないまま、どんどん授業は進んでいくし、意味あんのか?って思ってたけど、こんな感じでも、一応役立つ知識は得れていたのかもと思う。
確かに、今日食べるものがない、だからしょうがない、とも言えるかもしれない。
でも、物乞いをし続けて、ゆくゆく大人になって
、字が書けたなら…文字が読めたならな…と思う日が来るんじゃないかと思う。大人になれたらだけど。

パラドックスその1

ペットショップに反対する人がいる。私も無い方がいいと思う。なぜなら、噂によると、売れ残ったペットは殺処分されるとか、ブリーダーが近い間柄同士で繁殖させて、不具のペットが産まれたりしているらしいから。パグも、品種改良の結果、呼吸に問題を抱えやすいと、テレビかなにかで見た。そのパグはとても苦しそうだった。そんな噂(多分真実だろうけど)や実態があっても、ペットショップが無くならない背景にあるのは、私の考えだけど、過剰な動物愛護の精神だと思う。
例えば、猫を飼いたいと思い、里親募集のサイトを見ると、猫の里親になるためにはいつも誰かが家にいる必要がある、とか独り暮しの人はもちろん失格とか、他にたくさんのルールがあった。猫や犬ってそんなに柔じゃないし、特に猫は独りの時間も大好きな動物だと思う。一体それらをクリアする家庭って今の日本にあるのか?って正直思った。だから結局、ペットを飼いたい人はペットショップに行かざるを得ない。だからペットショップは無くならないし、売れ残らせないためにたくさん品種改良して見た目重視のかわいそうな動物が出来上がる。もしかしたら動物を追いやっているのは、過剰な動物愛護の精神かもしれない。

youtube

Youtubeにこれから大手の企業がたくさん参入して来るだろうという予測をよく聞く。
Youtubeが料金を払う人に厚遇するようになって、ってことはそっちの分の広告が無料で見てる人に回って来るんだな、って思ったら、そうなった。もしかしたらもっと多くなるのかも。
Youtubeもそのうちテレビみたいにぴっちり計画されて作り込まれものしかサムネにあがらなくなって、平凡な、気取りが無い感じのは見る機会が減るのかな?と思う。完璧ってちょっと息苦しい時もある。